本木雅弘特別インタビュー「作為と無作為の狭間を目指して」

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――この『海の沈黙』は、石坂浩二さん演じる画壇の重鎮、田村修三の展覧会で、本人が贋作を発見するところからストーリーが展開していきます。贋作を巡る謎の解明が進められる中、北海道で全身に刺青の入った女の死体が発見され、二つの事件の間に一人の男が浮かび上がってくる。それが、かつて新進気鋭の天才画家と呼ばれながら突然姿を消した、本木さん演じる津山竜次。ストーリーが進むにつれ「美とは何か」、「人は人生の最期に何を見つけるのか」というテーマが浮き彫りにされていきます。

本木 倉本先生の作品に初めて参加して驚いたのは、映画では描かれないそれぞれの登場人物の背景や履歴を詳細にお書きになっていることでした。津山竜次の場合は、青森の漁村に生まれ、マグロ漁師の一方、刺青の彫り師でもあった父親の影響を受けて育ち、5歳のときに両親を海難事故で亡くしてトラウマを抱えたことに始まり、絵を志した経緯や性体験、画壇デビュー後の行動や心情、また小泉今日子さん演じる田村画伯の妻で、かつて津山の恋人だった安奈との別れの後、ヨーロッパを放浪する中でマフィアの大物と交流を持つことなどなど、それだけで一つの作品が出来るほど。人物履歴をA4のペーパー1枚程度にまとめたものはよくありますが、ここまで詳細な例はなかったですね。それまで漠然としていた役のイメージがどんどん明確になっていきました。ですが難しかったのは、映画の中で、その竜次の人物像を別の演者が語ってはいますが、本人で過去を演じ辿って見せるシーンはほとんどなく、観客にとっても彼の年齢を追いながら人物像を積み上げ、感情移入していくことが難しい。しかし竜次が初めて登場するシーンでは、何かしらの過去を抱えている陰りとか、孤高感を既に纏っていなくてはならない。自分なりの解釈が出来たわけでもなく、探りながらも体現していくしかない。美に対する思いや社会に対するレジスタンスな姿勢もイメージしながら詰め込もうとすると、どれも表現し切れない物足りなさが残ってしまい、どこにフォーカスして演じたらいいのか、わからないままもがいてしまったという反省はあります。内省的なだけではなく、時に無防備に、笑みを湛えているぐらいの没入の仕方を見せれば画面からはみ出せたのかもしれません。倉本先生が温めてきたテーマの一端を担うことは、それだけでも自分には抱え切れない荷ですから、もっと玉砕という覚悟でやれたらよかったのですが……。単に当たって砕けろではなく、やれることをやり尽くして、正真正銘、粉砕してしまうような。

――そうおっしゃいますが、試写を拝見して、本木さんの演技に鬼気迫るものを感じました。

本木 狂気と言ってしまうのも嘘なんです。現実の撮影は、すごく冷静で常に俯瞰しながら演じているので、自分を捨て切れないし、またそうでなくては演技として成立しないし、やっぱりすごく難しいんです。ですが結果的に、役者としての葛藤が画家の苦悩へと繋がり、さらに「各々にとっての美しさとは何か」というテーマにも通じていくのかもしれません。この映画では、その投げかけ自体が主役だと思うんです。今回の作品は、倉本先生ならではの言葉の力による読み物のような映画です。ビジュアルから行間を読み解き、徐々に自分への問いかけが湧いてくるようなイメージの広がり方を体験できると思います。

キャリアを重ねて感じる演技の難しさと、これから。

――この『海の沈黙』は本木さんのキャリアの中で、どんな意味合いの作品になるでしょうか?

本木 例えば、本当に美しいものを追求していくと、自然のプログラムの美しさには勝てない。万物流転、諸行無常などと言いますが、長く人を惹きつけるものは、とどまっているように見えて、実は常に変化し続け、時を経て違う印象を生み出していく。一見完全なるものに見えて、はかなく静かに脈打っているもの、それが自然だと思います。それに近いものが表現できたら、満足の域に達するのかもしれません。しかし自分が演じているものは全て虚構、つまり作為的な行為であって、そこに何らかの狙いや期待が込められている。それを、嫌になるほど掘り下げて自分ごとにしていかないと、祈りや願いに近い光は降ってこないのではないかと。その作為と無作為の狭間にある場所が、目指しているところです。揺らぎとか絶妙な調和を生むために、ある時点で自らを無作為の領域に託す……この作品が、そんなことを考える取っ掛かりにはなったかなと思います。

――還暦が近づく中で、今後どんな作品、どんな役者としてのあり方を思い描いておられますか?

本木 年齢なりの経験値で乗り切ってきたところはありますが、どんどん演じることが難しくなってきていると感じています。これまで自我とか自意識というものが、自分のトレードマークのように張り付いていて、自分もそれにすがって、イメージを演じながら立ち位置を見つけようとしてきたところがあると思います。自我や自意識の「自」は自然の「自」でもある。自我、自意識の「自」を「みずから」「おのずと」という読みに変換していくのが、これからのテーマですね。分相応の領域を見極め、そこに自分を預け、然るべき時機に然るべき主題に自分を乗せることが、60代の自分が向かうべき道なのかなと思います。一番難しいことかもしれませんが、シンプルな題材と、さりげない芝居で、ここまでの滋味深さが出せるのか、という作品を残せたなら、いつ引退したってかまわないと思いますね。

ブルゾン141万9000円/ベルルッティ(べルルッティ・インフォメーション・デスク)

36年ぶりとなる畢生の映画作品で倉本 聰が描く至高の愛、至高の美
『海の沈黙』

世界的な画家・田村修三(石坂浩二)の展覧会で、展示作品のひとつが贋作であることが発覚。謎の究明が進められる中、全身に刺青の入った女の死体が北海道で発見され、二つの事件の間に、新進気鋭の天才画家と呼ばれながら姿を消した津山竜次(本木雅弘)の存在が浮かぶ。かつて津山の恋人で、現在は田村修三の妻となっている田村安奈(小泉今日子)は、津山と再会するため北海道小樽を訪ねる。しかし、津山は病に冒され、残された時間は限られていた。その中で津山は何を描き、何を思うのか。共演に中井貴一、仲村トオル、清水美砂他。
原作・脚本:倉本 聰
監督:若松節朗
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
11月22日全国公開

Masahiro Motoki
1965年埼玉県生まれ。’81年学園ドラマでデビュー。「シブがき隊」(’82~’88年)での歌手活動を経て、’89年の映画『226』より役者に専念。『シコふんじゃった』(’92年)、『ラストソング』(’94年)、『トキワ荘の青春』(’96年)などに主演。自ら発案し主演を務めた『おくりびと』(2008年)は米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞。NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲」』(’09~’11年)に秋山真之役で主演、TBS日曜劇場『運命の人』(’12年)では原作者、山崎豊子の指名により主演。テレビ朝日のスペシャルドラマ『友情~平尾誠二と山中伸弥『最後の1年』~』(’23年)では平尾誠二役を演じるなど、充実したキャリアを重ねている。



[MEN’S EX Winter 2025の記事を再構成]
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