偉大なカウンタックのDNAを踏襲するということ

一方で、それは後継モデルの開発にはたいへんなハンディとなった。ディアブロにおいて、ランボルギーニのDNAとも言えるカウンタックのワンモーション&キャブフォワードのスタイリングを踏襲するという判断をしたものの、もはや20年の歳月はカウンタックのようなピュアなスタイリングを描くことを不可能としていた。


「だいたい人間だって50年のうちに体格が良くなっているじゃないか。それにクライスラーのエルゴノミクスの基準を適用するとかなり大きなキャビンが必要となったんだ。ちゃんと効くエアコン、オーディオも必要であり、さらに大きなファクターは衝突安全性の確保だ。だからカウンタックと同じモノを作ろうとしても、結果的にかなり“ふくよかな”スタイリングとなってしまうんだ」とルイジは回想する。 ランボルギーニの歴史を俯瞰してみるならば、カウンタックというモデルの誕生で、それまでフェルッチョ・ランボルギーニやジャンパオロ・ダラーラらが築いてきた良質なグラントゥーリズモ・メーカーからカウンタックを作るメーカーへとあまりにダイナミックに変身していたのだった。


しかし、考えてもみてほしい。レーシングコンストラクターと市販自動車を製作し販売するメーカーはまったくの別モノだ。かの御大は綿密な計画を持って経営陣たちを丸め込み(笑)、この誰もが尻込みすること間違いない難しいプロジェクトを始動させてしまった。
ダラーラ ストラダーレはカーボンファイバー製バスタブシャーシと横置きにしたミッドマウントエンジンレイアウトを基本構成とする。このダラーラ社お得意のアーキテクチュアが手元にあってこそ、このプロジェクトは成立する。ミウラの当時はこういった剛性の高いモノコックシャーシを採用することは技術的に不可能であったのだ。この一点においてもダラーラ ストラダーレがミウラのDNAを受け継いでいることが分かるであろう。
そして、御大はギミックを徹底的に排除しようとやる気満々であった。「ピュアなスポーツカーはバルケッタスタイル(ルーフもウインドウスクリーンもない)に限る。タイヤは、そう、15インチくらいが一番バランスがよいし、パワーもそんなに無くて良い。バランスが最も重要だからね……」と暴走(!)する御大を目の前にアタマを抱えていた男がいた。
アンドレア・ポントレモリCEO。ダラーラ社の未来を任せるために、御大は同郷の彼を長い時間掛けて口説き、ダラーラ社のCEOに据えたという、最も信頼できるパートナーだ。ポントレモリにしても、御大の想いは分かる。しかし、そのピュアなコンセプトは、果たしてターゲットとなる顧客たちに刺さるのだろうか? ポントレモリと御大の長い攻防戦が始まったのであった。
後編に続く
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文・写真=越湖信一 EKKO PROJECT 写真=アウトモビリ・ランボルギーニ 編集=iconic