アイコニックな“風”のネーミング

また、マセラティはこのミストラルで、グラントゥーリズモのクルマにアイコニックな風の名前をつけるというアイデアを採用した。続いてギブリ、ボーラ、カムシンなどが命名され、これはマセラティの伝統となった。当時は2シーターモデルのみに命名されたが、シャマル、レヴァンテなど2+2や4シーターモデルにもこの命名ルールは拡大されている。
そもそもこのミストラルにはDuo Posti(イタリア語で2座)というモデルネームが用意されていたのだが、フランスのディストリビューターからの提案でミストラルと最終的に命名されたという経緯があった。時を経て3200GTの開発時にはこのミストラルという名称が検討され、エンブレムまで試作したというエピソードも残っているのも興味深い。そこには、当時その名称が日産の登録商標となりがっかりしたという個人的な思い出もあるが…。
一方、セブリングからは命名に関するもう一つのトレンドが誕生した。それは居住性を重視した2+2モデルに対して、マセラティがレースにて活躍した世界のサーキット名を取って命名するというルールである。続いて、メキシコ、インディなどがそのコンセプトに基づいて命名された。


3500GTの後期モデル、セブリング、ミストラルは基本的に同じドライブトレインが用いられた。エンジンはルーカス製メカニカルインジェクションが採用され、コンペティションマシン由来の直6DOHCだ。ただし、セブリングにはストロークアップした3.7リッターが当初採用された。加えて1966年には4リッター仕様が追加された。4輪ディスクブレーキやクーラーの採用など、パワフルかつラグジュアリーなスーパーカーであった。
ミストラルは3500GTと比べてかなり小柄であり、大きなグラスリアハッチを特徴とする。3500GTやセブリングと比較するなら、豊かな曲線が活かされた新しいトレンドが導入され、マセラティのスタイリングDNAも一世代進んだと言えよう。
ボディはスチール製でドア、ボンネット、リアハッチなどは軽量化のためアルミニウムが採用された。実はこのミストラルのボディ製造に関して、画期的な試みが行われた。なにせこの時期のチーフエンジニアは、Tipo60バードケージなどを手掛けた鬼才ジュリオ・アルフィエーリだった。彼がありきたりのクルマ作りに満足するわけがない。そして、その取り組みはイタリアのカロッツェリア事情とも深い関連があった。次回はそのあたりのお話しを含めて再びミストラルについて語らせていただきたい。
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文・写真=越湖信一 写真=マセラティ 編集=iconic