
まずは子ども時代の様子をお聞かせいただけますか?
「1歳年上の兄が子役をしていました。その影響で私も子役をしていたんです。期間は小1から18歳で、厳密に活動していたといえるのは中学生までですね。仕事は舞台中心で芸術座にも立っていました。大人の役者さんに厳しくしつけられていたので、ませていて、学校では同年代の学生と話が合わなかったのを覚えています」。
子役をなさっていたとは知りませんでした!
「タップダンス、モダンダンス、日本舞踊のほか、歌と演技も学んでいました。芸事は好きで楽しく通っていましたね。浜木綿子さん、十朱幸代さんが出演する舞台や、井上 靖さん原作の舞台などに出ていたんです。最初は楽しかったけれど、兄がものすごく売れっ子だったため、比較されることにコンプレックスを強く持つようになりました」。

それで子役が中学生くらいまでの活動だったわけですね。ファッションに関心を持ったのはいつ頃ですか?
「15歳くらいで映画に興味を持って、ジム・ジャームッシュ監督の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウン・バイ・ロー』みたいな着こなしがしたいと思っていました。当時、地元の東京・吉祥寺にオア グローリーという古着店があったんです。店長さんが抜群にオシャレで、その方に大きな影響を受けました。その後、店長さんへの憧れから販売員になりたいと思い、代官山にあった本店にお願いに行ったところ、断られてしまいました。それでも諦めきれずにひたすらアタックし、結局、別のお店で土日だけ働けることになったんです」。
どんなお店だったんですか?
「お店の名前はレッドビーンズ。品物の半分がヨーロッパとアメリカの古着で、あとはオリジナルです。店長が強烈に厳しい方でした。古着のことを教わるつもりで行ったら、初日に『そのつもりなら帰れ』と。1960年代から70年代のヴィンテージが中心で、お客さんからはレーヨンのシャツ一枚にしても、どんなレーヨンなのかと細かく質問されるわけです。当時はインターネットも古着の専門書もない時代。自分で東京中の古着店に行き商品を買い漁りました。買ったものをひたすら”写ルンです”(使い捨てカメラ)で撮影して、自分だけのヴィンテージ古着のノートを作りました。そのブランドのタグや特徴を調べ書き込むことで覚えていったんです」。
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「私はメンズファッションは、もっと明るく、綺麗な色を合わせるスタイルが良いと思っています。綺麗な色を多く取り入れてファッションを楽しくしたい」と語る鈴木さん。鈴木さんがinstagramで発信しているコーディネイトの一部をご紹介しよう。もっと見たい方はこちら
「16歳、17歳当時、1950年代のリーバイスやリーといったビッグブランドのものは高くて買えません。同年代のコピーブランドを買って、色の落ち方の違いを研究したり、デザインを比較したりしていました。千葉県の有名な古着店にも買いに通いました。ノートに特徴をまとめているうちに、見分け方も身についてきて、高校卒業時にはロンドンへ行き、1920年代から30年代の古着を大量に買ってくるまでになりました。その頃にはヴィンテージの服を触れば年代が分かるようになっていたんです」。