若い頃はどんなファッションに興味がありましたか?
「ファッションはシンプルなものが好きでした。ジル・サンダー、APCとか、ハリウッドランチマーケットの古着ミックス調のものも好きでした。ただファッションはあくまでも生活の一部であって、そのために生きているというわけではありません。ヨーロッパに行って感じたのは、ちゃんとした場に行くときは、ちゃんとした格好をしないといけないというマナー。イタリア人の友達と初めてディスコに行ったときに『お前はジャケットを着ていないから入れないよ』と言われて、なにそれ? と。そのときから、徐々に友人を通じて理解できたんです。友人も遊びに行くときは『ちゃんとドレスアップをしてこいよ』と言ってくるし」。
イタリア語はすぐに覚えられましたか?
「学校を卒業してから、実際に話さないと勉強にならないだろうと。そこで仕事を探していたら、友人が美容室でシャンプーボーイを募集していたよと教えてくれて、じゃあそこで働こうと。シャンプーボーイをしながらお客さんやスタッフとのやりとりで言葉を覚えました。ほかにも友人が働くバーがあって、ほとんど毎晩、そこへ行って片言でコミュニケーションして、言葉が分かるようになったんです」。

美容室でも働いていたんですか?!
「シャンプーボーイをしながら、イタリア滞在が2年くらい経ったころ、以前働いたカジュアルショップに復帰しました。復帰して4か月ほど経った頃に、2着目のジャケットを作った日本の友人が、またリヴェラーノ&リヴェラーノにピックアップに来ると。それで通訳としてリヴェラーノに会いました。イタリア語で意思疎通ができるようになっていたので『お前を街でよく見かけるけど、いったい何をしているんだ? よかったらうちで働かないか』と言われまして」。
「リヴェラーノは『俺は、ある程度、日本では有名なんだよ』というけれど、こっちは知らないし(笑)。友人はあんな大物から声を掛けてもらえるなんて! と、驚いていましたが、ぼくにはただのおじいちゃんでしたから。でも、業界の人にいろいろと聞くと、すごい人物だとわかり、正式な雇用ではなくて、まず一週間だけ様子を見させてもらうことにしました。4日くらい働いたところ、『やる気があるなら働きなさい。信用しないなら帰っていい』と言われて本格的に現在の仕事が始まりました。それが24歳か25歳頃です」
大物バイヤーも日本から訪れますよね
「そうです。当初はみなさんに『あなた、誰?』って顔をされまして(笑)。日本人が働いたことがなかったので、そんな反応も無理はなかったかもしれません。そうして1年、2年、3年と経つと、顔を覚えられて『まだ、いるねえ』なんて話もするようになり、打ち解けられるようになりました」。