イタリアへはファッションの勉強に?
「語学留学です。一応、百貨店で働いていた時にもイタリア語を勉強はしていましたが、やはり、使っていないとダメですね。高校時代に、交換留学でオーストラリアへいったことがありまして。そのときの経験から、言葉が伝わらなくてもなんとかなるだろう、行ってから勉強すればいいやって思いもあったんです」。
「オーストラリアのワーキングホリデーに行って英語を覚えてこようと思っていると、父親に相談したところ、『みんなと同じ方向に行ってもしょうがないぞ』と言われて。英語を話せる人は多くいるし、フランス語もスペイン語もそう。当時、イタリア語は話せる人があまりいなかったのでイタリアに行こうと思いました。いい靴も見られるし。もし、お金に困っても手に職があるから、靴づくりの技術を生かして何か仕事をすればいいかと」。

語学学校にはどれくらい通われたのですか?
「アルバイトをしながら学校に1年ほど通いました。運よく3ヶ月目くらいにデニムなどを扱うカジュアルショップで雇っていただいて。英語もイタリア語もわからなかったので一週間働いたところで、社長から『とりあえずイタリア語を勉強してきなさい』と言われて、店を辞めて学校に戻りました。現地へ行って同じく3ヶ月目に、私の高校時代の友人からリヴェラーノ&リヴェラーノでジャケットを作りたいと連絡があったんですね。彼は英語を話せないから、イタリア語の通訳をしてほしいと頼まれて。そのとき、友人に同行してアントニオ・リヴェラーノ(リヴェラーノ&リヴェラーノ店主)に会っているんですよ。片言のイタリア語で注文を通訳して、そのあと、街でリヴェラーノにすれ違って、『チャオ(こんにちは)』なんて挨拶もしていました」。
なにか印象に残るエピソードはありますか?
「そのあと、レッジョ(ディ)カラブリアに一か月、日本人観光客をサポートするボランティアとして住んでみたことも。当時、中村俊輔さんがレッジーナ(※)に在籍していたので、日本人観光客のためのボランティアがありました。中村さんや、武田(修宏)さんに『なんで、こんなところに(日本人が)いるの?!』と珍しがられましたよ」
※レッジョ(ディ)カラブリアを本拠地とするサッカークラブ