——じゃあ、そこで、わいわいと不思議な共同生活が行なわれていたんですね。その頃は、どんな雑誌に関わっていたんですか?
松山 『平凡パンチ』だったね。当時、あそこの平凡出版の中でいろいろあって、木滑さん(編注:木滑良久氏。平凡出版の様々な雑誌の編集長を歴任、1998年代表取締役社長に就任。現在、マガジンハウス最高顧問)とか石川次郎さん(編注:『平凡パンチ』『BRUTUS』『ターザン』『GULLIVER』などの編集長を歴任、名編集者として名を馳せ、1993年に独立。テレビ朝日系列の深夜情報番組『トゥナイト2』のキャスターを8年にわたり務めたことも知られている)が、平凡企画センターっていう子会社つくって1回出ちゃうんです。その企画センターで仕事してたんだけど、平凡出版の本は出せないから、読売出版系の仕事をやってたね。
それで『made in USA catalog』とか、いろんな実験をやったわけ。あと『SKI LIFE』だとか。石川さんたちが、スキー好きだったからね。アメリカのスキー事情みたいなことをやったり。それは2冊出したの。僕は国内のほう、八方尾根の特集とか手伝ってた。
あと、他には『ハーイ』っていう子供雑誌を実験的に作って。それを結局、同じコンセプトで「どうぞ」って言って渡して創刊されたのが『SESAME』。いろんな雑誌の在り方を模索してた時期だった。
——なるほど。『made in USA catalog』は、当時の若者カルチャーに多大な影響を与えた伝説的な雑誌ですもんね。
松山 そういうことがあって、「じゃあ戻りませんか」っていうんで木滑さんたちも一緒にまた本社に戻って、で『POPEYE』を創刊するわけ。それで「お前もやれよ」っていうことになって。
——それが原宿時代なんですね。
松山 原宿もその後2、3か所、点々としてんだけどね。どこに住んだか、ちょっと時系列が頭の中でぐちゃぐちゃになっちゃってるけど(笑)。で、当時の原宿に、さっき言ったセントラルアパートっていうのがあってね。それこそ、鋤田さんの事務所や『話の特集』の編集部があったり。本当にいろんな。
——ヤッコさんこと、日本のスタイリストのパイオニア的存在の高橋靖子さんとかも、そうですよね。
松山 ヤッコさんもいたかな。あとクボセンって言って、コピーライターの糸井重里がいた久保田宣伝研究所とか。僕は、彼とはあんま付き合いなかったけど。
その頃、セントラルアパートの駐車場だった所を改装して、なんか遊びのスペースみたいなカフェができたりしてね。インベーダーゲームが初めて登場した時代。ピンボールマシンとインベーダーゲームがあって。
そことレオンっていう喫茶店。レオンは、ほとんど毎日みたいに行ってた。その2軒に、もういろんな人が、行ったり来たりしてたよ。
——レオンも伝説の店ですよね。クリエイターの溜まり場というか、それこそ、舘ひろしさんはじめクールスの人たちがいたり。なかなか普通の人は入っていけないみたいな雰囲気だったような話を聞いたことがありますが。
松山 そんなことはなかったと思うけど、でも、ちょっとよそ者には敷居が高かったかもね。
ユージン・スミス(編注:アメリカ出身のフォトグラファー。ロバート・キャパがらが立ち上げた写真家集団マグナム・フォトの正会員。雑誌『ライフ』を中心に数々の作品を発表。1961年来日、水俣病を取材した写真集『Minamata』に対する評価も高い)もよくいたね。ユージン・スミスは『Minamata』の後、あそこでオフィス構えて、撮影の拠点にしてるんですよ。アシスタントやってた人と知り合いでね。ユージン・スミスが、アイリーンって人と結婚したときに、その結婚式のスナップショットを、僕、撮ってんだよ。ユージン・スミスは羽織袴でね。
デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップと晩餐を
——鋤田さんとも、そういう原宿のお付き合いで。
松山 そう。お仲間。でも当時、僕はセントラルアパートに事務所持てるようなご身分じゃなかったから、レオンでいろんな人と会って原稿を書いたりしてた。
——鋤田さんといえば、デヴィッド・ボウイの写真で有名ですよね。アルバム『HEROS』の、手が印象的なジャケ写は、鋤田さんですよね。
松山 あの撮影の瞬間、僕もその場にいましたよ。
——えっ!? 歴史的な撮影の現場に立ち合われていたんですね。
松山 青山スタジオだったかな。山本寛斎の衣装着て。スタイリストは、ヤッコさん。あのときかな、イギー・ポップも来日してて。鋤田さんと、デヴィッド・ボウイと、イギー・ポップと、僕で、しゃぶしゃぶ食べたんだよ。表参道の、根津美術館に行くほうにあった店。多分、夏だったような・・・、少なくとも寒い時期じゃなかったような気がする。
——どうでしたか、その二人は?
松山 気さくな人だよ、デヴィッドって。僕と同い年だったかな。本当にシンプルなシャツ着て、ジャケット。ステージみたいな特別な服装はしてなかった。さっぱりした格好してたよ。いろんな話ししたけど、忘れちゃったね(笑)。そのときのイギーのことは『POPEYE』に書いたな、確か。
デヴィッドとは、2、3回会食してるんですよ。一番最初は、鋤田さんと山本寛斎と山口小夜子とデヴィッド・ボウイと僕で、原宿のどっか地下のお店でご飯食べたね。

1946年京都生まれ。作家、作詞家、編集者。
MEN’S EX ONLINEで「道楽道」を連載中。
撮影/稲田美嗣(人物)、まつあみ 靖(静物) 文/まつあみ 靖