【ロングインタビュー】作詞家・松山猛とその時代#5/1969年、テレビとフォークグループ

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——そうですね。ちょっと前後しますが、東京に出てこられて、最初はどこにお住まいだったんですか。

松山 京都と東京を行き来してた時は、加藤のところに泊まってて、東京に来てからも最初は加藤のところに居させてもらってた。当時は並木橋でしたね。だけど、加藤が福井ミカと結婚することになって。

——加藤さんとミカさんは、1970年7月に結婚。サディスティック・ミカ・バンドの結成以前ですよね。

松山 ミカもフォーク・グループっていうか、2人組、デュエットをやってたんだよ。ミカ&トンコっていう。

——そこに曲を書いたりはしたんですか?

松山 しなかったね。

——ミカさんも東京に来られたのは、同じ時期?

松山 加藤がプロ活動し始めて、めちゃくちゃな状態だったんだけど、その前からミカとの付き合いは始まってたからね。それで、二人が結婚するっていうんで、僕は自由が丘に部屋を借りることにして。自由通りの方だったね。

その頃、京都の友達で、仕事をしようと1人で上京して来たヤツがいて、しばらく僕のとこにいたんだけど、キープしといた家賃持って京都に帰っちゃったこともあったね。彼とは、その後も付き合いあるけど(笑)。

自由が丘は1年ぐらいで、その後、中目黒というか、蛇崩あたりに移って。当時、立ち行かなくなって、知り合ったカメラマンの家にずっと居候してるうちに、僕が家賃全部払ってたり。なんかわけ分かんないんだけど、面白い時代だったな。だから、加藤とべったりというわけでもなかった。

次回に続く

撮影/稲田美嗣 文/まつあみ 靖

バックナンバー:
作詞家・松山猛とその時代#1/1960〜70年代のミュージックシーン
作詞家・松山猛とその時代#2/加藤和彦との出会い
作詞家・松山猛とその時代#3/イムジン河のこと
作詞家・松山猛とその時代#4/ザ・フォーク・クルセダーズとイムジン河

2025

VOL.345

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