ファッションの目覚めはいつ頃ですか?
「早かったですね。小学校の頃、コーディネイトを考えすぎて遅刻したことも。小学校の入学式で着ていたブレザーがお気に入りで、秋口まで着ていました。父はハーレーダビッドソンに乗るほどのアメリカ物好き。米軍基地にデニムを買いに行くのについていったり、アメリカの古着を着せてもらったりしていました」
【猿渡さんの思い出写真館】(写真3枚)
学生時代はスポーツを続けたのですか?
「小学校のときからいろいろなスポーツのクラブ活動をしていたこともあり、高校は野球の特待生として入学しました。ここからは野球漬けの毎日です。野球部に100人を超える部員がいるなか、1年生でベンチ入りして最初から目立っていたと思います。サインやルールを完全に把握しきれていなくて最初のうちは辛かったですね。血尿が出るほどに練習をしたし、先輩のしごきもキツイ。でも負けん気だけは強く、高校1年、2年で自分でもそのことに気付きまして」

「甲子園を目指している野球部だったので、修学旅行も体育祭も参加できないほど、クラブ活動最優先。高校3年生の時、春の東京大会の準決勝まで進んだけれど優勝には至らず、これ以上打ち込んでも無理だろうと自分の限界を感じました。野球進学で大学から声を掛けてももらいましたが、就職を選ぶことに。高校の先輩が在籍していたことから選んだのが、三陽商会の野球部です。当時、三陽商会の野球部は1年に2〜3人ほど野球枠の採用をしていました」