加藤和彦と徐々に離れながら
——ミカ・バンドでは、2枚目の『黒船』の後、解散までにもう1枚『HOT!MENU』というアルバムをリリースしていますが……。
松山 『黒船』の後は、僕はあんまり手伝ってないんじゃない? 『黒船』で、もうやり尽くした感じはあったかな。書きたいことはほとんど、その当時としては書けたっていう。次のアルバムでは、他のミカ・バンドのメンバーが詞を書き始めてたり。
——なるほど。その時代になってくると松山さんも、エディトリアルの仕事の方も忙しくなってきたり。
松山 そう。加藤は加藤で、ほら、安井かずみさんと知り合うじゃん。
——作詞の仕事は、安井さんが手がけられるようになっていくわけですね。
(編注:ミカバンドの全英ツアー終了時、『黒船』をプロデュースしたクリス・トーマスと昵懇となっていたミカさんと加藤さんとの夫婦関係が修復不能な状態に陥り、その後、離婚。加藤さんは、作詞家として既にポジションを築いていた安井かずみさんと出会い、1977年に結婚。公私にわたるパートナーとなる。しかし、安井さんは肺癌のため、1994年、55歳の若さで帰らぬ人となった。)
松山 そんなこんなで、まあちょっと、だんだんと疎遠になってくるというか。たまには会ってたけどね。仕事はもう、ほとんど一緒にはしなくなっちゃった。
——前にもちょっと聞いたのですが、松山さんから見た、加藤さんの作曲家として非凡さとは、どんなものだったんでしょうか?
松山 僕はあの頃、加藤以外の人とそんなに仕事したことがないので、誰かと比べてどうこう言えないんだけど、加藤はいろんなものを取り入れるのはうまかったね。
だから、よく2人でいろんなレコード探しに行ったりしたね。ちょっと変わったレコードを売ってる店に行ったり。それからレコード会社に行くと海外から送ってくるサンプルがあるじゃない? そういう中で、日本では売れないだろうと判断されてしまったサンプルのストックがいっぱいあるわけ。そういうのを面白がって探してきて「こんなのあるよ」、「あんなのあるよ」とかやってたね。
——じゃあ、わあわあやりながら、いろんなアイデアを出し合ってって感じなんですね。
松山 やっぱり、加藤はいい耳してたしね。

——加藤さんとの曲作りは、詞が先の場合が多かったというお話でしたが、曲がつけられてくると、結構イメージどおりのものになってくる感じだったのか、それとも、いい意味で裏切られるみたいな?
松山 途中で修正入れながらやっていってたからね。「ここ、ちょっと言葉が短い」とかなると、「ああ、OK。なんか足してみる」みたいな。一緒に同時進行でする作業が良かったんじゃないかな。