綿谷 寛画伯と中野香織先生による男のコートをめぐるスペシャル対談をお届け。その歴史から粋な着こなし方まで、メンズファッションに造詣の深いお二人がディープに語り合ってくれました。

服飾史家 中野香織さん(右)
株式会社Kaori Nakano代表取締役。服飾史家として研究・講演のほか企業の顧問教授を務める。新聞・雑誌・WEBなど多媒体で執筆。
イラストレーター 綿谷 寛さん(左)
弊誌連載でお馴染み。’50年代アメリカンイラストレーションを髣髴とさせる写実画で知られ、中野先生とは共にイベントを行うことも。
由来から探るコートを着る意味

「コートは男の紋章。覚悟を持って着るべきです」(中野香織さん)
綿谷 寛さん(以下画伯) 今日は中野先生から直にコートの講義を受けるつもりで来ました。部屋の夜景も綺麗ですし、まずは泡で乾杯といきますか?
中野香織さん(以下先生) 対談ですから、ちゃんと画伯も話してくださいよ。でもまぁ……乾杯は賛成です(笑)。
画伯 そもそも服飾史でコートはいつ頃から登場するんですか? 人類が毛皮を纏っていた時代まで遡るとキリがないので、紳士の服飾史限定で(笑)。
先生 コートは英語の”覆うもの”(Coat)から来ており、服飾史で最初に現れるのは5?6世紀頃の「Coat of Mail」。これは日本でいうと鎖帷子(くさりかたびら)です。
画伯 防寒具ではなく、身体を覆って守るものがコートの始まりなわけか。
先生 さらに歴史が下って中世になると「Coat of Arms」と呼ばれるものが生まれます。直訳すれば”武具の覆い”で、当時の貴族が馬や武具にかぶせた色柄付きの覆いのこと。それによりどこの家の所属かを示したんです。紋章の起源になりますね。
画伯 当時は馬も武具だからね。で、紳士の外套としてのコートが出てくるのはいつ頃なんでしょう?
先生 18世紀です。といってもこの頃はテーラードの技術が未熟で、袖なしの外套、いわゆるケープが今に続くメンズコートの原型です。上流階級の間で流行し、ケープをちゃんと纏えてこそ一人前の紳士と見なされました。この頃から外套に意味や象徴性が加わってきます。このケープを足元まで届く着丈としたものがクローク。英国では今もオペラ観劇時にオペラクロークを羽織るお洒落な方がいらっしゃいますし、海軍も式典の際にロイヤル ネイビー ボート クロークを着用しますね。
画伯 形としてはマントも似ていますよね? 両者の違いはあるんですか?
先生 マントはクロークのフランス語で、まったく同じものを指しています。
画伯 今日は勉強になるなぁ(笑)。
先生 19世紀になってようやく袖付きの上着として、外套であるオーバーコートとその下に着るアンダーコートの2種が生まれます。前者には毛皮などを使った重たいコートと軽く着用できるトップコートがあり、後者はモーニングコートやテールコートが有名。ちなみに英国ではフォーマルな場で着るすべての上着をコートと呼びますね。
画伯 たしかに。我々がテーラードジャケットと認識しているものもスポーツコートと呼んだりするものね。
先生 ジャケットはJack(農民)が語源で、ブルゾンなどのもっとカジュアルな上着を指します。ケープから袖付きのコートに発展していく過程を経て、コート&タイの装いが紳士の象徴になっていったんですね。
画伯 ところで現代のコートにはミリタリー起源のものも多いですよね。こういう軍用コートはいつ頃誕生?
先生 軍制服として登場するのは、これも19世紀。陸軍はシングルブレステッド、海軍は洋上での防寒性を高めるためにダブルのコートを着用しました。
画伯 海軍=ダブルは、風の向きで前の合わせを変えたからって話も聞くね。
先生 軍由来の代表的なコートは威厳を示すためかっちりとしたデザインのものが多く、ロシアの国境警備隊が今も着用するグレートコートが有名ですね。ヘビーなウールを用い丈が長いのが特徴的。そして実は、こういうヒストリカルなメンズコートってほとんど19世紀に生まれているんです。フロックコートの上に着るフロックオーバーコート、ケープが付いたウルスターコート、ジェントルマンが馬を調教する囲い地で着たパドックコート、そして今最もよく着られている社交用のチェスターフィールドコート……。
画伯 こうして歴史を伺うと、コートは男としての象徴や威厳を示すものとして発展してきたことがわかりますね。
先生 男にとって大切なものですから、コート自体が着る人の象徴として扱われる表現も多いんです。「Dust one’s coat(コートの埃をはらう)」は”その人を殴る”の英国的な婉曲表現、「Turn one’s coat(コートをひっくり返す)」は、”変節する”。Wear the king’s coatは”兵士になる”という意味です。
画伯 そういうことを踏まえると、ゆめゆめいい加減に選べませんね。男としての覚悟を持って臨まないと。
先生 先ほどの話じゃないですが、コートはやっぱり男の紋章なんですよ。