マルコ社長が明かす、「ロックマン」誕生の秘密

——そもそも、エルバ島で創業した理由は?
「私の母方は、エルバ島に代々続く家系で、現在ブティックになっている建物で、私は生まれたんです。当初、父親が展開していた革製品のビジネスを手伝い始め、腕時計のストラップも手掛けるようになりました。バーゼル・フェアに営業に行ったところ、個性的なものが多く好評で、いくつかのブランドから注文を受けることになりました。それがきっかけとなって、ロックマン・デザインという社名の下に、いくつかのブランドの腕時計のデザインを手がけるようになっていきました。」
——自社ブランドのモデルの展開が始まったのは1996年ですね?
「そうです。ミラノで約60年の歴史を持つ時計製造会社ジェネジ社長のルイジ・アンドレッリ氏から時計製造のノウハウ学び、その後も長きに渡って仕事をともにしました。ルイジ氏が高齢となって勇退する際、ジェネジ社をロックマン・グループ傘下に引き受けたんです。1996年にロックマンに社名変更し、他社のためのデザインではなく、自社モデルを展開していくことにしました。実はそれまで、大手のウォッチ・ブランドが我々の会社の大株主だったんですが、すべての株を買い戻し、独立した会社として新たなスタートを切ったんです」
ロックマン本社&ファクトリーは、海の目の前にあった!(写真4枚)
——自社ムーブメントの開発について教えてください。
「自社モデルを展開し始めた当初から、自社開発・製造ムーブメントの構想は抱いていました。試行錯誤の末、2006年に自社製クロノグラフキャリバー『S.I.O. DP CH88』の完成に漕ぎ着けました。このキャリバーは、クォーツショック以前に良質なムーブメントのサプライヤーとして知られながら、現在は消滅したヴィーナス社の『ヴィーナス88』の設計を踏襲しています。オリジナルは手巻きでしたが、我々の会社で自動巻きに設計し直し、サイズも変更しています。このキャリバーを選んだのは、既にヴィーナス社は存在せず、ライセンス上の問題がないこと、また極めて丈夫なムーブメントであることが理由です」
海を眺めながらの時計作り(写真6枚)
——今後、新しいムーブメントの構想は?
「現在、新しいムーブメントの開発を進めており、遠からずお披露目できると思います。やはり、ムーブメントの開発力があるブランドが、今後生き残っていけると思います。スイスのムーブメント・サプライヤーでは多くのイタリア人時計師が働いています。彼らと連携しながら、新キャリバーを開発することも思い描いています」
——時計学校S.I.O.について教えてください。
「S.I.O.のスペースは、ファクトリーの上のフロア、レストラン『コンティキ』の隣にあります。当社のベテラン技術者が講師となって、時計師の育成はもちろん、各地の技術者にメンテナンスの指導などもおこないます。新技術の開発も、このS.I.O.が担っているのです」
時計学校で次世代の育成も(写真3枚)
