島津 旅費はバイトで貯めました。その後、有田さんは1976 年に「OUTDOOR SPORTS」というセレクトショップを立ち上げ、僕らも店の壁にペンキを塗ったりして開店のお手伝いをしました。
当時最先端のヘビーデューティーや米西海岸のアイテムを織り交ぜたセレクトは新しいファッション&カルチャーを唱えた雑誌の影響もあって売れに売れました。
後に僕は渡欧するので、それから後に出された有田さんのお店のことは詳しくわからないこともありますが、有田さんがパリに買い付けに来られたときは僕がアテンドしました。それから日本ではじめて「ポール・スミス」、「マーガレット・ハウエル」を扱ったのも有田さんです。
青柳 日本でライセンスがはじまる前の話ですね。
島津 ポール・スミスに関してはニューヨークのホテルの一室で開かれた小さな内見会だったと聞いています。

ミュージックシーンからの影響
島津 話は変わりますが、熊本には1970年代に「ポレエル」、「ナイトパレス」というディスコがあり、当時はレコードではなく”ハコバン”でしたからミュージシャンがライブで演奏していたわけです。
彼らは当然、新しい音楽やカルチャーに敏感ですからコンチ(欧州的なファッション)が熊本に入ってくるのも早かったのです。ご存知のように九州はシーナ&ロケッツをはじめ、多くのミュージジャンを輩出していますから、音楽全般についても早かったのです。
全国的に九州の大都市といえば福岡が思い浮かぶと思いますが、当時から現在まで、福岡は大手資本のショップが多く、情報収集能力には長けているものの、個性的なセレクトショップが非常に少ないのです。
青柳 なるほど!!!
島津 そう思うと当時から現在まで熊本には個性的な品ぞろえの店が多く、1970年代にはコンポラのスーツを誂える店もありましたから、こうしたミュージシャンたちの衣装も熊本のショップが一躍を担ったといえるでしょう。
もちろんD.C.やミラノモーダ然り、ありとあらゆる選択肢があったのです。そんなことが全国的に知られましたから、いつしか熊本はファッションの発信基地といわれるようになり、東京でもパイオニア的な存在のセレクトショップのオーナーの方々が次々と視察に来られていました。
そして口々にいわれるのが、東京では売れない物がここでは売れているという事。東京にはないものがここにはあるということでした。
青柳 肥後もっこす恐るべしですね。
島津さんの話はまさに1960年代から70年代のファッションクロニクルそのもの。同じ時代を歩んできた筆者にとっては頷く事ばかりで、話を聞きながらウキウキしてしまった。