牛尾さんの思い出の作品(写真2枚)
自分でミシンを踏み、鞄作りを始める
そんなとき、今の仕事につながる転機が22歳で訪れた。シンプルなトートバッグが欲しいと思ったのだ。理想はエコバッグのような簡単な構造で縦長のもの。いたって普通のデザインに思えるが、探し回っても、ずばりのものに巡り会えない。
「そこで生地を買って自分で作ってみたんです。ミシンは踏めましたから。すると、自作のバッグが周囲に好評で、アルバイト仲間から作ってほしいと頼まれました。うまくいって調子に乗るんですね(笑)。アルバイト先の近所に棚貸し(※)のお店があって、そこに作品を並べ始めました。これも、まずまず売れまして」。
※複数の人が店内の一部分だけ場所を借りて、それぞれの商品を販売する形態
鞄製作と販売が順調な牛尾さんは、布素材にも飽きて、いよいよ革の鞄にチャレンジする。革はお母さんの元にあるので、それを使ってみたのだ。

「やってみると、これが難しい。厚みもあるし、思い通りに縫えなくて無性に腹が立ちました。下手なものでも並べると売れたので買ってくれた人に申し訳ない気持ちもあって、本格的な鞄作りへの思いが芽生えてきたのです」。
大阪で本格的に鞄作りの修行をする
ちょうどその頃、お父さんが亡くなり、牛尾さんは鞄職人になろうと、腹をくくった。鞄作りはやればやるほど、面白い。大阪のベテラン職人の元で修行を行い、その間は友人たちとの交流も絶ち、真剣に取り組んだ。そして、修行ののち、また神戸へ戻った。
神戸に戻った牛尾さんは、昔から足繁く通っていたバーにまた通いだした。運よく、その店の客の中にセレクトショップの関係者である先輩がいて、「やってみるか?」と注文が入ったのが2003年のこと。ここからベラーゴが始まった。先輩はアクセサリーを作ってもいたので、そのつてで合同展にも出展。しかし半年ごとに新作を作り続けるサイクルに疑問も感じていた2006年頃、牛尾さんは、スピーゴラの鈴木幸次さんと出会うことになる。イタリアで靴作りを学んだ鈴木さんは、ジャンルこそ違えど、革製品作りの先輩。
「厳しいアドバイスをもらうことで、気付けたことは多かった。ものの見方が変わっていって、これは職人の誰もが通る道だと思います」

エルメスのバッグに学ぶ
また、牛尾さんの学びの場だったのがショーウインドウ。飾られたエルメスのガーデンパーティを繰り返し眺めていると、自分の成長とともに、様々なことが見抜けるようになってきたのだ。
「今まで何度も見ていましたが、改めて全体を見るとフォルム、素材のふくよかさ、それに対して縫いがマッチしています。すべてがベストバランスなのです。それで自分の鞄作りのポイントも変わっていきました」。
東京には手縫いの鞄作りの名人がいる。では、神戸で自分はどうやって個性を発揮すべきか? 着実に腕を上げていく牛尾さんは自分の鞄作りを見つめなおして、ひとつの結論にたどり着いた。手縫いの名人とは逆に、ミシンの繊細さを突き詰めていこうと考えたのだ。機械的な(ステッチの)連続性の美しさはミシンならではのもの。ミシンのハイピッチは手縫いでは表現できない。また、手縫いには型紙の制限が、さほど無いが、ミシンの場合は機械の可動域の制約が多く、それに合わせた型紙の些細な変更で完成品の表情が変わる。これが牛尾さんには魅力に思えたのだ。