自費でピッティウオモに同行してしまう
入社直前の’95年1月、太田さんはピッティウオモを含むイタリア出張に出かけている。このエピソードがまたおもしろい。まだアルバイトだった’95年1月、太田さんは大先輩の鴨志田康人さん(現在のユナイテッドアローズ クリエイティブ ディレクター)に「イタリアに行きたい」と無理なお願いをしたのだ。ユナイテッドアローズではイザイア、ベルヴェストなどの品揃えがすでに行われていたこともあり、クラシコイタリアを意識した装いの諸先輩も多かった。それが太田さんには、とてもかっこよく見えたという。といっても、本来、ショップ勤務で海外出張へ行けるのは店長クラスに限られる。
「クラシコイタリアブーム目前のタイミング。行きたい気持ちを大事にしたいと思って、自費で同行させてもらったのです。それが初めて出かけたピッティウオモとなりました。現地でイタリア人を見て、なんじゃ、このカッコよさは!! と(笑)。アイビー好きが自分の根底にあるので、彼らのグレーフランネルのパンツにネイビーブレザーの装いには共感できました。うちの先輩方はそれをデザイナーズブランドのアイテムと程よくミックスするなど、UA流に着こなしていたのをとてもよく覚えています」。

イタリア男の粋に触れて感激
「このとき、アントニオ・リベラーノさん、アルフレッド・カネッサさん(当時のマロ社長)が、とても親切にしてくださって。この方たちは日中、スーツなのに、夜はきれいなカシミアのニットにコットンパンツ、素足にローファーといった出で立ち。24、25歳くらいだった私に、子どものころの記憶がよみがえりました」。
初の出張ではリベラーノリベラーノでスーツをオーダー。その仮縫いがあったため、次の夏にまた自費でイタリアへ渡航。さらに’96年の夏には仕事仲間と3人でもイタリアへ出かけた。
ザ ソブリンハウスがオープンしたのは、その翌年にあたる’97年。
「イザイア、ベルヴェスト、ルイジボレッリなどを取りそろえ、日本でクラシコイタリアが花開いた時期です。また、プラダのメンズが同時期にデビューしたのを覚えています」。