DCブランドに夢中になった
「僕は私立の中学校に通っていたんです。周囲の洋服好きの子たちはBALやビブレ、阪急百貨店(※)で買い物をしていて、中には中学校なのにコム デ ギャルソンを着てくる子もいる。でも僕は、街中の子ではなかったので、地元のスーパーで買いものをしていて。それをバカにされたことがあって、もう悔しくてねえ(笑)。母親に『悔しいから、ブランドの洋服を買ってほしい』とお願いするんですが、うちは中流家庭でしたから『高い』と猛反対されて。みんなメンズビギ、タケオキクチといった人気ブランドのショッパーに体操服を入れているのが自慢で、僕も大きいものが欲しかったんですよ」。
※当時、若者のファッションに力を入れていて、京都の繁華街で人気の高かった店舗。現在はBALのみ営業中。結局、お母さんに付き添ってもらい、BALや阪急百貨店のセール初日に並んで買い物をすることができた。当時、DCブランドのセールは、初日の開店前から行列ができるほどの盛況で、ニュースになるほどの社会現象でもあった。この時代、田野さんはメンズビギ、ムッシュニコル、タケオキクチなどを着ていたそうだ。

早くからコンサバ路線へ
その後、「父親が『公立に戻ったら、洋服をたくさん買ってあげるよ』と言うものですから」と、高校は公立に進んだ田野さん。そんなこともあって、高校では、ますますファッションにのめりこんでしまった。当時の愛読書はメンズノンノだったそうだ。
高校時代に出会ったのが、京都・御池にあった「アンディハウス」というショップ。「インポート物を扱っていました。そこからずっと僕はコンサバです。昔の写真を見ると、現在とギャップがあって恥ずかしいなんておっしゃる業界の人は結構いますよね。早くからコンサバだったので、僕にはそれがないんです(笑)」。
この頃、記憶に残っているものではフランスのサンドウェッジのシャツ、エミスフェールのニット、バスのローファーなど。ホワイトジーンズにローファー、BDシャツといったコーディネイトも気に入っていた。アメカジブームが到来していたときも、いわゆるアメカジには流されず、501を穿いても、ポロ ラルフローレンのピンクのBDシャツなどを合わせ、上品な雰囲気だったそうだ。
