コラム:鈴木幸次さんのアトリエ拝見(写真5枚)
ロベルト・ウゴリーニさんとの運命の出会い
学校に通いながら出会ったのが靴愛好家の間では名高い、ロベルト・ウゴリーニさん。当時、鈴木さんは学校の合間、工房を巡りながら、手縫い靴の製作風景やかっこよさに衝撃を受けていた。最初はシエナから、1、2時間かけて学校に通う生活。その後2ケ月ほどでフィレンツェの街中に引っ越しをして、結局、3年間はそこに住んだ。
当時の生活を鈴木さんは次のように振り返る。
「朝から昼はブラブラと靴屋、道具屋を見て、住まいも探して。フィレンツェは街全体が美術館のようだし、楽しい場所でした。いろんな目的で、職人、料理人、アーティスト、建築、写真家などがいてよく広場で集まって酒を飲んだり、語り合ったりしたことは財産ですね」。

そうした日々の中で、ビスポークの紳士靴に衝撃を受けた鈴木さんには、靴にまつわるものすべてがかっこよく感じられた。親方の仕事ぶりも、道具も、なにもかもがだ。当時、蚤の市で探し回った古い道具は、いまではスピーゴラの工房の宝になっている。「使い方が分からなくても、かっこよければ買う!みたいな状態でした(笑)」。
靴のことばかり考える毎日が続く
そのうち、ウゴリーニさんの工房で鈴木さんは働くことになった。
「当時、ロベルトも若くていろんなことにトライしていました。そのおかげで、自由に学ぶことができました。彼は典型的なイタリア人で、面白いし、よく働く人でしたね。この頃の僕は、他のイタリアの工房、パリやロンドンの靴屋、アンティークの靴の資料などものぞかせてもらって、なんにでも貪欲。何かしら靴に関係するところじゃないと足を運ばないくらい、靴のことしか考えていませんでしたから(笑)」。

鈴木さんとウゴリーニさんの関係は今も昔も良好。鈴木さんにとっては兄のような存在だ。ともに働いて印象的だったのは仕事の正確さ。技術、時間、いろいろなものが正確だったウゴリーニさんの職場が、鈴木さんにとってはやりやすかったようだ。
「ロベルトはとにかくいつも手を動かしている人です。電話しながらでも靴を作るような。僕にはかなり丁寧に靴作りを教えてくれましたね。イタリアは親切に指導してくれる人が多いと思います。僕自身が靴作りに真剣に取り組み、のめり込んでいたこともありますが、彼に怒られたことはありません。ロベルトは靴作りに貪欲で。僕も一つ一つの作業を正確に、そしてロベルトの靴作りに少しでも役に立とうと必死でしたね。学生時代は体育会系でしたから、弟子としての心得、掃除、時間の規律などは、きっちりやるのが僕にとっては当たり前でした。