日本人デザイナーにも注目
次に訪れたファッションの波はコム デ ギャルソンやワイズ。
「先輩の影響で今度は川久保玲さん、山本耀司さんに憧れて。高校の終わりくらいでしょうか」。
同じころ、TVドラマ『傷だらけの天使』で登場人物がギャバジンのスーツなどを着用。衣装は菊池武夫さんが手掛けていたビギのものだった。
「これもかっこいいと先輩に教えられて、へ〜、そうなのかと。ほかにはニュートラが流行って、サーフパンツをはいてシェルのネックレスをしていたこともあります」。多感な世代に加え、周囲に感度の高い人たちが多かったことから、仙田さんのファッションへの関心は、勢いを増していたようだ。また、高校生の間は流行に敏感で好みがスピーディに変わったことがうかがえる。
地元のアパレルで就職を試みるが……
高校を卒業すると、仙田さんは上京し服飾デザイナーの専門学校へ進学。が、すぐに中退して地元へ戻りガソリンスタンドでアルバイトを始めた。まだファッションの仕事がしたいとの思いが残る21歳。昔のアルバイト先であったメンズショップに相談をして、金沢市内のアパレルメーカーに問い合わせをしてみるものの反応はいま一つだった。
「紳士服メーカーからは『今はいらない』と言われ、レディスメーカーからは『男性は不要』と断られました。すると、友人が働いているメンズショップの人から『ネクタイ屋が募集しているよ』との情報をもらったのです」。

とんでもない服装で面接に
さっそく電話をしてみると、なんと「今日面接に来てほしい」と、慌ただしい話になってしまった。バイト先から向かう仙田さんの格好はチャンピオンのスウェットの上下にビーチサンダルという、面接にはありえない服装だ。それでも仙田さんが面接に向かったのには訳がある。
今では考えられないが、当時の仙田さんはなんとネクタイが好きではなかったという。自由なファッションを愛好していた仙田さんの目には、普通のネクタイが堅苦しくて、お洒落なアイテムとは映っていなかったのだ。
「『俺、ファッションの人』だし、落ちてもいいやと思って面接を受けました。面接をしたのは先代の社長です。開口一番『僕はファッションは好きですが、ネクタイは嫌いです』と言いました。すると、『キミ、変わっていますね』と言われ、採用されてしまったのです」。