大学生のような高校時代
藤枝さんの通っていた都立大付属高校は都立大学のキャンパスと隣接していたこともあり、生協や食堂があるなど、大学に近い雰囲気が特徴。1年生の最初の数か月で私服での通学もOKとなった。大学とのあまりに近い距離感から、学生紛争が高校にも影響して、高校生が学生運動を始めたり、大学が運動で封鎖されると敷地内の高校まで封鎖されたりする有様。そのうち、高校の授業は大学のようにレポート提出になったほか、教室で座席が決まっておらず友達に代返を頼んで授業に出ない人が珍しくないなど、高校とは思えない環境になってしまったそうだ。
コラム:藤枝さんの思い出写真館
大学ではスキー同好会で特訓の毎日
ところが、高校を卒業し、一浪ののち明治学院大学へ進んだ藤枝さんは、別人のようになった。「高校時代と浪人の4年間のルーズな生活への反省があったんですね。中学まではサッカー、テニス、野球に打ち込んでいたのに、と。このままではいい加減な人間になってしまうと思い、スキー同好会へ入部しました」。
スキー同好会と聞くと、遊びのサークルのように思えるが、とんでもない。スキー競技の回転、大回転に取り組み、週5日はトレーニングを行い、本格的な雪上合宿があるなど、まるっきりの体育会系である。
「スキーをやるようになって、着るものがアメトラに回帰しました。高校時代の友人で、大学に進学せずヴァンに入社した人がいたことも影響しています。当時のヴァンはトラッド一辺倒ではなく、ヨーロッパテイストの404、Mr.ヴァン、スポーティなシーン(場面の意味ではなくブランド名)などがありました。ほかには、イタリア家具のアルフレックスやソニープラザのはしりのような生活雑貨の提案をヴァンが手掛けていたのを覚えています」。
スキー活動にお金が必要だったので、洋服を友達に借りるなどして昔のファッションに夢中だったころの気持ちも満足させつつ、藤枝さんは上手に日々を充実させていた。3年生になると、主将を務め60人を束ねるなど大活躍。

そうして、いよいよ大学を卒業することになり、藤枝さんは住宅会社、生命保険会社から内定をもらった。
「でも、本当に自分がやりたい仕事かどうか見つめなおしました。家を売る仕事だと土日に働くのは当たり前です。それを一生続けるのはどうかな、と」。
思案していると、先輩の紹介で、藤枝さんはジャーデンマテソンの人から話を聞く機会を得る。同社は、当時、ホワイトホース、プリングルなどを取り扱っていた香港の商社。ダンヒルについては、ジャーデンマテソンを通じてコロネット商会が日本で販売を展開しており、藤枝さんは1976年にコロネット商会に入社することになった。
紳士洋品部への配属が人生を変えた
「最初の3か月くらいは商品管理をしていました。届いた梱包を開けて検品して受注先に送る仕事です。次に営業アシスタントを1年半ほど勤めたのち、営業として横浜地区を担当しました。このときの部署はインポート事業本部紳士洋品部。紳士洋品部に配属されたことが、私の人生において大きな意味があったと思います」