ファッションの目覚めは小学校時代
気になるファッションの目覚めは、小学校時代。時代を考えるとかなり早熟だった。それには理由がある。藤枝さんのお父様は東京の神田須田町の生地問屋を経営されていたという。英国生地を中心にイタリアのビエラなど、イタリア物の素材が徐々に増え始めていたころだった。職業柄、お父様はパナマ帽にメッシュの靴、アトキンソンや元町ポピーのネクタイなどを身に着ける洒落者。お父様のファッションに加え、幼少期から上質な生地を目の当たりにしていたのだから、目が肥えるのも当然といえる。

「小学生、中学生時代はヴァンジャケット全盛で、先輩や、周囲のお兄さんたちが、アイビールックをしていた時代です。しかし、中学生ではヴァンは買えませんでした。ヴァンと同じころ、ジュンがコンチ(コンチネンタルの略)を打ち出して、西武百貨店がそうした動きをとらえるのが早かった。堤 邦子さん(※1)がパリにいらっしゃいましたからね。西武百貨店がテッド ラピドスのライセンスを始めたり、ジュンが凝った広告ビジュアルを展開したり。福澤幸雄さん(※2)がエドワーズのイメージを作っていた時代です」。
※1 西武グループ創業者、堤 康次郎さんのご令嬢で日本に数多くのファッションブランドを紹介した。※2 フランス生まれで、レーサー兼ファッションモデルとして活躍。25歳の若さで事故死した。
ヨーロッパのファッションに夢中に
藤枝さんが思春期まっさかりの高校生時代、登場したのがレノマやサンローランだ。
「高校生のころ、ヨーロッパのファッションが日本に入ってきます。パンタロンもそうしたアイテム。英国のミュージシャンのロングヘアが流行り、スコット・マッケンジーの歌う『花のサンフランシスコ』がヒットして、反戦、ヒッピーの機運が高まっていました」。
高校生になり、アルバイトを始めた藤枝さんが、手に入れたのはダニエル エシュテル。ブランドは現在も展開されているが「今とは全く違いました」と藤枝さん。購入した場所は当時、最先端のものが揃っていた西武百貨店である。「ウエストシェイプを効かせたネイビーのサファリジャケットに、リブのタートルネック。それにグレーのツイードのパンタロンをはいていました」と記憶は昨日のことのように鮮明だ。

いまの高校生なら多くの子がファッションに関心を持っているが、当時はそうでもなかったらしい。そんななか、文化出版局が発行していた季刊誌「NOW」が藤枝さんに影響を与えた。グループサウンズの人たちもモデルとして出演するなど、かなり先進的な雑誌だったようだ。そのころ、ヨーロッパファッションに加えて、サーフファッションも若者の注目を集めている。
「高校になると、下田へテントを持って遊びに行くんです。サーファーでもないのに。多々戸浜に米軍のキャンプがあって、そのあたりにいるお兄さんたちの真似をするんです。ほかには新島へも行きました」。