ワイキキデビューの思い出は時差との戦いとホットアップルパイ

ハワイ到着。時差という、とてつもなく苦しい洗礼を受けたのも、このハワイが初めてであった。どんなホテルに泊まったのか記憶はないが、ホテルのチェックインは、午後。到着は朝なので、ツアーでよくあるお決まりの観光へ。はっきり覚えているのが、パイナップル畑。バスで小1時間走っただろうか。子どもの私は、時差ボケの真っ只中。起きていた方がよいと言われようが、景色が綺麗といわれようが、とにかく眠かった。しかし、バスの中での爆睡が功を奏し、パイナップル畑に到着した頃には体力回復。この畑が、初めてハワイを感じた場所であった。なにより驚いたのがパイナップルのなり方。皆さんご存じですよね?当時の私は、椰子の実と同じように大きな木にぶら下がるようになっているものだと勝手に思っていたのだが、見事に裏切られた。まるで、花のように細めの茎の上にパイナップルが咲いている!という感じ。百聞は一見にしかず。この時、このことわざの意味を強く理解できた気がした。日本では、パイナップルといえば、シロップ付け缶詰が主流であった当時、生パイナップルがこんなに、甘く、美味しい果物であるということも、初めて知った。
パイナップルで時差ボケボケの身体を潤しながら、襲ってくる睡魔と戦いつつ、シー・ライフ・パーク(現在も営業してます!)でイルカショーなどを楽しみ、いよいよワイキキへ。しかし、ここでトラブル発生。何かの手違いでホテルが取れておらず、旅行代理店が急遽用意した別のホテルまで歩かされることに。皆でそれぞれの鞄を持ち移動。暑いわ、重いわ。これが私の、悲しきワイキキデビューであった。
到着直後のことは、これだけ鮮明に覚えているのだが、その後、この旅行でどの様に過ごしたか、記憶が飛び飛びなのである。ただ、食に関しては、はっきりと覚えていることがいくつかある。まず、なんと言ってもマクドナルド。日本にマクドナルドが入った年だったか、その前であったかは定かではないが、ハナウマベイにあった(今もあるのだろうか?)マクドナルドで、初めてハンバーガーを口にしたのだ。
私達が生まれた1960年代、そして’70年代の初めにかけては、アメリカの文化が日本に浸透してきた時代。スパゲッティーもピッツァも、全てアメリカの食べ物であると思っていたあの頃、ハンバーガーはアメリカの食の象徴的存在だった。食堂を営んでいた祖母の影響か、我が家は殆ど和食。肉や魚よりも、切り干し大根、きんぴらごぼう、こんな典型的な惣菜が私の大好物。ハンバーガーとは、程遠い生活だった。しかし初マクドナルドは、正直旨かった。ハンバーガーもさることながら、温かいアップルパイの味は忘れられない。何年かして日本でも食すのだが、あの感動は薄れていた。食とは、何を食べるかは勿論だが、誰とどんな状況で食べるのかが最も大切であることを、幼いながら思い知らされた。
