ファッションの原点はお父さんのおみやげ
齋藤さんによると、ファッションに関心を持つようになったのは、アイビー世代だったお父さんがきっかけ。また、3歳年上のお兄さんの影響も大きかった。
「旅行会社に勤務していた父は、ロス五輪に関連した企画を任されていて、ロサンゼルスやハワイへの出張が多かったのです。そして、出張のたびに、いつもアメリカの洋服やファッション雑貨をおみやげに買ってきてくれました。エルエルビーンのトートバッグやリーバイス501などは特に印象的でした」。
これは齋藤さんが14、15歳ごろの話だ。
「当時はアメカジ一辺倒で、ラルフ ローレンなどトラッドに非常に憧れていたんです。紺ブレ(※)がカッコイイと思っていて、それはいまのハケット ロンドンの仕事にもつながっていると思います。当時、私が着ていたのはブルックス ブラザーズの金ボタンのついた古着の紺ブレ。ラルフ ローレンのボタンダウンシャツも好きでした」

上野に通った高校時代
高校時代、週末になれば千葉県から東京・上野のアメ横まで洋服を買いに行くほど、齋藤さんにとってファッションは大切な存在だった。先述のアイテムのほか、パタゴニアのフリース、シェラデザインの60/40のマウンテンパーカ、ウールリッチのダウンジャケットなど、彼を夢中にさせるアイテムが目白押しだったという。
「80年代のダウンジャケットは、羽毛がパンパンに詰まっていましたね」とディテールの記憶も鮮明だ。
トラッドを知っていく中で、心を惹かれたのがアーバンアウトドアの世界。フリースやマウンテンパーカ、ダウンジャケットなどをトラッドスタイルの上に重ねる。つまり、ハズしとしてコーディネイトを楽しめるステップに進んだのである。「このときに知った”ハズし”が、ハケット ロンドンでの仕事にも生かされています。本当に大事なことを得られたと思います」。
当時の愛読書はポパイ、ホットドッグプレス、チェックメイト、メンズノンノ、ブーン。背伸びをしてMEN’S EXを読むことも。最初は柏(千葉県)や上野で古着を探していたものの、ストリートファッション誌だったブーンの影響もあり、次第に高円寺(東京都杉並区)などへ足が向くようになっていった。