
社会人になり本格的にデニムの世界へ
社会人になった林さんは、まず中小規模のジーパンメーカーに就職をしている。倉庫係を一年担当した後、営業、企画へと、徐々にモノづくりの現場へ近づいていく。読者にも知られているデニムブランド、ドゥニームが立ち上がったのは1988年で、林さんが31歳の時のことだ。ドゥニームは大手アパレル企業のワールドが立ち上げたもので、林さんは創設にあたりデザイナーとしてブランドに参加した。「大手アパレルならば、セルビッジデニムの生地を作ることができるだろう」との思惑もあったそうだ。のちにドゥニームは爆発的なレプリカデニムブームを先導することになるが、意外なことに最初の業績はあまりよくなかったそう。
ブランドの業績が芳しくなくとも、頑張っているアピールはしておかねば!との思いから「朝一番に出社して会社を掃除してました(笑)」と林さん。
レプリカデニムのブームが到来したのはドゥニーム誕生から約3年後。そして、2009年に林さんは退社し、新たなプロジェクトに取り組むことになる。
コラム:林さんのファッションをチェック!
リゾルトを立ち上げ、さらにデニムを追求
2010年、林さんが満を持してスタートしたのが、現在もデザイナーを務める「リゾルト」だ。「ジーパンだけのメーカーでいたい」。これが当初からの目的のブランドである。
「ジーパン3型だけ!という企画で立ち上げました。結局、4型になってしまったけど(笑)」。
リゾルトでは、ジーパンのウエストサイズそれぞれにレングスが用意されている。これは大昔のリーバイス流の販売方法。林さんによれば、昔のリーバイスは作業着として雑貨店で売られ、裾上げをしなくてもよい販売手法がとられていたそうだ。それがいつしか、作業着がアパレルとなり、効率化を図る中でウエストサイズだけを選び、裾を切る形式になってしまった。
また、直営店を持たないのも当初からのアイデア。アイテムが増えるとブランドの維持が大変になる。そのため、ブランド運営をシンプル化する一方、身体が空く土日に店頭で行われるフェアを自ら手伝うことにした。昨今、インターネット通販や、店頭の接客のマニュアル化など、ファッションの現場が簡素化されていくなかで、逆転の発想を打ち出しているのだ。



「店頭に立つのはおもしろい。ウエストとヒップ、太ももを見てお客さんにフィッティングをするのは、包丁の実演販売と一緒です(笑)。お話をして売るのはいいよね。自分に合うサイズを提案すれば、お客さんは買ってくれますよ。洋服屋はそれやないと無理」。 全国の販売店を回ると、店頭には10歳代から60歳代まで幅広い林さんのファンが訪れ、リピーターも多い。
コラム:本物のユーズドデニムを作るプロジェクト
現在、林さんが取り組んでいる尾道デニムプロジェクトが面白い。プロジェクトは2013年に始まり、広島県東部の備後地方で作られるデニムや尾道の魅力発信を目的としている。この企画では、様々な職業の尾道市民270人に2本ずつのジーンズを提供。約1年間、ローテーションを続け、最終的にはきこんだジーンズは本物のユーズドデニムとして販売されるのだ。ジーンズは週に一度集めて加工場で洗って、破れたりすることのないように丁寧にケアされており、第一弾では540本のユーズドデニムが生み出された。第一弾の540本に関しては一本一本、林さんがチェックをして、それぞれに値段が決められたそうだ。2014年には尾道にプロジェクトの旗艦店が誕生するなど、大きな注目を集めている。 http://www.onomichidenim.com/