
いいことも、悪いことも、”父の記憶”は、周りにいた大人たちが教えてくれた
2000年6月。小津先生にとって、そして私の両親にとっても忘れえぬ存在であった松竹大船撮影所が閉鎖となった。もう解体工事が始まっていた頃、私は一人でここを訪れたことがある。閉ざされた正門の前に立つと、涙が溢れてきて止まらなかった。 撮影所がなくなることは、俳優の仕事場がなくなること。身を切られるような辛さがあった。先代たちが残した撮影所を、私たちが大きくしなくてはならなかったのに、それが出来なかったことが、無性に悔しかった。
私自身、この松竹大船撮影所で何本もの松竹作品の現場を踏んだ。『男はつらいよ』『キネマの天地』……。ここには父と一緒に仕事をしたスタッフの方たちが沢山現役で働いておられて、父のことをよく話してくださった。よかったのは、いい話ばかりではないこと、(父の名誉のために、詳しくは書かないが)多少素行のよろしくなかった話も聞けたことだった。
父の記憶がない私は、周囲から「あなたのお父さんはいい人だった」という話ばかりを聞かされて育った。偶像崇拝とまでは言わないが、どこかで「父がそこまで立派なら、自分は父の子ではないのではないか?」という思いさえ芽生えていた。しかし、大船で実に人間臭い父の実像を知って、なんだか解き放たれたような気がしたものだ。「自分はしっかり親父のDNAを引き継いでいる!」なんだか父の存在がより身近に感じられるようになった。
最近でも、円覚寺の父の墓にはしばしば足を運ぶ。鎌倉近辺に来たときはもちろん、作品の収録が終わると必ず訪ねている。お盆やお彼岸は敢えて外すぐらい頻繁に行っているので、花に水に歯ブラシまで、墓掃除の手際のよさはプロ並みと自負している(笑)。
そこで、私は父に話しかける。すると父も言葉を返してくれるような気がするのだ。子どものころから、何かを決めるとき、自分で決めているようでありながら、実は背中から父が右へ行け、左へ行けと教えてくれていたような気がずっとしていた。オーバーな言い方をすると、今、俳優という仕事をして、こうして生きていることに、私自身の力はゼロではないかとさえ思うのだ。これは本当に親が与えてくれた力なのだと。
墓参りに関して、ひとつルールのように思っていることがある。墓参りの日に雨が降ると、父が「今日は来るな」と言っているように思えてならないのだ。父が来て欲しいと思っているときは、午前中雨でも、北鎌倉に着くころにはピタッと雨が止んでいる。今回の鎌倉でのシューティングでは、終日の雨が紫陽花の美しさを引き立ててくれたから、父の墓には立ち寄るのは止めにした。何しろ人間臭いオヤジのこと、あちらの世界でもいろいろと忙しいに違いない。私はそう思いながら、雨の鎌倉をあとにした。

[MEN’S EX 2013年9月号の記事を再構成] 題字・文/中井貴一 撮影/熊澤 透 ヘアメイク/藤井俊二 構成/松阿彌 靖 撮影協力/長谷寺、成就院、Caffe Kapua