これまで、MEN’S EXでは、高度な腕前を持つ職人の方々を紹介してきた。彼らの持つ特別な技術は、これまでにも多くの場で分析されてきたが、実はテクニック以上に面白いのはそれぞれの人生だ。名人芸を生み出すきっかけは個性的な経歴があってこそ。この連載では、そんな名職人たちのユニークな人生を取材し、超絶技巧が生まれた背景を探ってみたい。
マーキス代表/川口昭司さん【後編】

Profile
川口昭司(かわぐちしょうじ)さん
1980年、福岡生まれ。大学卒業後、英国へ渡り、靴作りの専門学校で技術を習得。その後、ポール・ウィルソン氏の下でビスポーク靴の製法を学ぶ。のちに独立し、自分のワークショップを構える一方で、ガジアーノ&ガーリングのビスポーク靴の製作にも携わる。2008年に帰国し、2011年に自身のブランド、マーキスを設立する。
博物館でビスポーク靴の魅力を知った
「実は学校の授業ではなく、ノーサンプトンにある靴の博物館で昔のビスポーク靴を見た経験に一番大きく影響されたのです。とにかくめちゃくちゃにかっこよかった! それもあって、卒業時期の2003年にビスポーク靴の製法を学べる場所、教えてくれる人を探して、あちこちの靴メーカーに手紙を書きました。送った先はジョージ クレバリー、フォスター&サン、ジョン ロブ、ジェームズ・テイラー&サンなど。すると、一社からポール・ウィルソンさんを紹介していただけました。彼はジョージ クレバリーをはじめ、最高級靴ブランドのアウトワーカー(※)をしている人物。そこで、ニューキャッスルへ行き、彼のアトリエでお世話になりました」。
※アウトワーカーとは、企業や工場から製作を発注される社外の職人のことをいう。靴の場合は個人で工房を構え、自分のブランドと外注されたものを兼業する人や、アウトワーカーを専業とする人などがいる。

念願のビスポーク靴の職人に
ニューキャッスルに住み、ビスポーク靴の製作を学び始めると「これが本当に自分のやりたかったことではないか」、「奥が深すぎて本当に興味深い」、「学校で知っていた靴作りの技術とは全然違う」とたちまちビスポーク靴に魅せられてしまった。なかでも、すべて手作業を行うことや、同じ工程を踏んでも作る人によって靴の表情が大きく変わることに感動があったという。ポール・ウィルソンさんのもとで修業を続けた川口さんは、3年半経った時にフォスター&サンのアウトワーカーを務める腕前になっていた。
「3年半が過ぎて、そろそろロンドンに出て、ほかのメーカーの仕事もしてみたいと思い始めたのです。当時、エドワード グリーンの仕事をしていたトニー・ガジアーノと出会い、私もロンドンに移り、仕事をする仲になりました」。
間もなくトニー・ガジアーノさんはガジアーノ&ガーリングを創業。川口さんはロンドンに自分のワークショップ(工房)を構え、ガジアーノ&ガーリングを含むブランドのアウトワーカーとして活躍していた。1年半のロンドン生活の末、日本が恋しくなってきた川口さんは帰国を決意する。2008年にまずは地元福岡に戻り、半年に一度は東京で行われるガジアーノ&ガーリングの受注会を手伝うなどしていた。
