【ファッション履歴書】ファッションディレクター 森岡 弘さんの場合/前編

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マリテ+フランソワ・ジルボーのジーンズが登場

大学3年生か4年生の頃、森岡さんの印象に強く残ったのがフランス発祥のマリテ+フランソワ・ジルボーのジーンズだ。
「サーファーやストリートスタイルが好きな人を中心に大人気でした。劇的にデニムの価格を変えたブランドです。それまではジーンズに1万円以上を払うなんて意識がなかったのに、ペダルプッシャーというジーンズは1万 5000円ほどで、当時の学生には衝撃的な値段でした。僕は同ブランドのチャイナクロスのブルゾン、ブルックス ブラザーズのボタンダウンシャツ、ラコステのアイゾットのポロシャツ、ヘインズのTシャツ、トップサイダーやクラークスの靴という感じでした。」
当時、ほかに森岡さんが愛用していたのはトニー ラマのウエスタンブーツ。ウエスタンやミリタリーテイストのアイテムを集めた新宿区西早稲田のバッファロートラックというショップが通学途中にあったのでよく覗いていたそうだ。

「大学時代、土曜の夜はいつも六本木のディスコへ出かけていました。当時は男性同士では入れてもらえなかったので、常連になるまでは入り口で女性にお願いして入場の時だけ一緒に入ってもらうのが普通。あの頃の六本木は遊び慣れた大人が多い憧れの街でしたけれど、街や店の敷居が高くてファッションの修行をしてからでないと楽しく遊べないような場所でした。浪人時代にカフェのバイト先にいたサーフィン部の人に六本木に連れていかれたものの、当然ファッションもディスコにいる人からはズレていて、とても恥ずかしく早く帰りたかったことを覚えています(笑)。馴染んできたのは大学3年生頃だったと思います。この時代の六本木は大人の雰囲気が漂っていて、遊んでいる人がお洒落でかっこよかったので、人を見ているだけでファッションの勉強にもなって楽しかった。」

ファッションディレクター 森岡 弘さん

衝撃を受けたトキオ クマガイ

大学を卒業し入社から3年後にメンズクラブ編集部員となった森岡さんは、トラッドにはあまり興味が持てなかったという。その理由はディスコでの経験から「ルールのある真面目な着こなしのトラッドはモテないしつまらない」と感じていたから。
ファッション=モテるためのもの、自己主張をするものという気持ちが少しあったのに加え、トラッドな洋服のシルエットがあまり好きではなかった。また、サイズがスポーツマン体型の森岡さんには合わなかった事情もあった。試着して体に合うのはヨーロッパの50、52といった大きなサイズ。折しも海外のデザイナーが注目され始めており、国内ブランドではニコル、やビギなどのデザイナーものが人気を集めていた。
森岡さんの琴線に触れたのがトキオ クマガイ。「はじめてクリエイティビティを強く感じて、洋服の面白さに触れられたブランドでした。それなのに、奇抜すぎず、着て街を歩いていても違和感がなくてカッコよかったんです」

私物のトキオ クマガイのサイドゴアブーツ(イタリア製)

森岡さんが今も保管している私物のトキオ クマガイのサイドゴアブーツ(イタリア製)。ミッドカットで、アッパーの後半全体がゴムというユニークなデザイン。シンプルなフォルムなので、現在スタンダードな裾幅18cmのテーパードパンツにも十分履けそうだ。

気になるコーディネイトを徹底解説!



※この記事は前編・後編にわけてお送りします。

撮影/久保田彩子 取材・文/川田剛史

デニムジャケット/ハンドルーム、Tシャツ/ジョンスメドレー、パンツ/ジェルマーノ、シューズ/ディアドラ ヘリテージ、アイウェア/トム フォード。

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ネイビー一色だが、素材、さりげないペイズリー柄などで着こなしに奥行きを作り、巧みに個性が添えられている。

ネイビー一色だが、素材、さりげないペイズリー柄などで着こなしに奥行きを作り、巧みに個性が添えられている。

ハイネックのTシャツは、ジョンスメドレー。

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お父様の形見だというロレックスのデイトナ。「金の腕時計を付けても馴染む年齢になりました。」

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