
話が逸れてしまったけど、若き天才作家のウルフもご多分に漏れずわがままで社会性に欠き、パーキンズを困らせるが、寛容で常識人である彼もまた奇行ともとれる癖を持つ。それが帽子だ。
昨今では、帽子に関するマナーがすっかり乱れてしまい、おしゃれを自認する御仁が屋内やパーティの席上で平気で帽子を被ったままだったりと、気になって仕方ないのだが、パーキンズはなんと室内はおろか食事中も、自宅で寛ぐときも、はたまたパジャマに着がえても愛用のフェドーラ(中折れ帽の一種)を頭にのせたまま。しかも時代は、ルールに従えない者は立派な社会の一員として認めてもらえない’20年代の話だ。
教養があり人の痛みがわかり、極めて常識人である一方で、仕事一途で家族には無関心。そんな昔気質の出版人である彼が帽子を脱がないのは、既成のルールに縛られたくない反骨精神の表れなのか? あるいは頭の中は原稿のことでいっぱいで単に無頓着なだけなのか? それともただの変人奇人? いや、実は薄毛隠しの小道具なのでは?と、オレの興味は彼がいつ帽子を脱ぐかの一点に集中。おいおい、食事中に周りの誰かが注意してやらないのかよ。
そういえば映画を観ながら、自分が初めて帽子のことで注意を受けたことを思い出した。あれは高校1年の校外学習のとき。私服ということもあり、めいっぱいおしゃれをして昼に友だちと弁当を食べてる際に、英語の教師が寄って来て「綿谷、外とはいえ帽子は脱いで食べたほうが弁当がうまいぞ」と、そっとひと言。そのとき、オレは顔から火が出るほど恥ずかしく、初めて帽子のマナーを知った。学校の授業のことなんてなんにも覚えてないけど、そういうちょっとしたことって一生忘れないんだよね。いい先生だったなぁ。
ま、オレの場合は無知ゆえに周りの大人が教えてくれたわけだけど、パーキンズの場合は、そこをいちいち突っ込んではいけないような迫力があるのだ。
そしてついにその帽子を脱ぐときが……涙。帽子を脱ぐくらいで感動したのは初めてだ。まあ、凡人は絶対に真似てはいけません。
今月のシネマ
『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』 (2016 英米合作)
[MEN’S EX 2018年10月号の記事を再構成](スタッフクレジットは本誌に記載)