東京五輪のゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める丸山茂樹プロが、オリンピアンと語らいながらそのライフスタイルを深掘りする本企画。第11回のゲストは、2012年ロンドン五輪のボクシングミドル級金メダリスト、村田諒太さん。
【Fun for Win】VOL.11
東京五輪ゴルフ日本代表ヘッドコーチ 丸山茂樹×村田諒太[後編]

丸山茂樹さん
1969年生まれ。千葉出身。日本ツアー通算10勝。2000年より米ツアーに参戦し3勝。2002年には伊澤利光プロとゴルフワールドカップを制する。現在はゴルフ解説などで活躍する傍ら、ジュニアゴルファーの育成にも尽力。東京五輪ではリオ五輪に続き、ゴルフ日本代表のヘッドコーチを務める。愛称は“マルちゃん”。セガサミーホールディングス所属。
村田諒太さん
1986年生まれ。奈良出身。WBA世界ミドル級スーパーチャンピオン。強くなりたくて中学からボクシングを始め、南京都高校(現・京都廣学館高校)時代に高校5冠を達成し、その名を轟かせる。2012年のロンドン五輪では、ボクシングミドル級にて金メダル獲得。翌2013年にプロ転向。現在はIBF王者ゲンナジー・ゴロフキンとの統一戦実現を目指す。
ボロクソにやられた後輩、マイクを奪い「俺がやる!」
丸山 コーチと選手との理想的な関係について、村田さんはどう思われますか?
村田 要は化学反応だと思います。
丸山 相性のようなもの?
村田 そうですね。高校時代の恩師、武元前川先生は間違いなくそうでした。学生時代は、よく平手打ちをされましたが、恨みを持つことはなかったですね。僕の高校はヤンチャなほうだったんですが、生徒を社会に通用する人間に育てて、必ず卒業させるという先生の強い意志を感じていたので。
丸山 昔はそういう熱血教師、たくさんいましたよね。
村田 例えば、部室の鍵を後輩に預けて大目玉を食らったことがありました。部長の僕をはじめとする上級生が管理しなければいけないんですが、先生に見つかってしまい、部員全員、連帯責任で平手打ち。
丸山 愛のムチですね。
村田 僕自身、キャプテンとしての自覚が足りなかったと深く反省しましたね。その一方で、怒られると思ったら肩透かしを食らったことも。それは新入生を病院送りにしたときなんですが。
丸山 えーっ!?
村田 ボクシング部では毎年春になると、新入生にボクシング部員と対戦させて入部希望者を募るのが慣わしなんですが、そこで我こそはと手を挙げたのが、見るからに柄の悪そうな巨漢の新入生だったのです。
丸山 ほう。
村田 実は空手の有段者だったんです。その試合はあくまで新入生に興味を持ってもらうためのデモンストレーションなのに、対応した入部して半年の2年生部員がコテンパンにやられるのを見て僕はカチンときちゃって。マイクを奪って「俺がやる」と宣言するやいなや瞬殺。その場は大いに盛り上がったけれど……。
丸山 今なら大事になっていたかもしれませんね。
村田 武元先生に呼び出されて、こってり絞られると思ったら「村田、お前のナックルは返るし、腰も回る。体重だって乗る。他のやつとは違うんだ。だから、むやみに拳を使うな」と。それでおしまいでした。ボクシング部の名誉のために、そして仲間のために戦った僕を、先生は理解してくださったんでしょうね。
丸山 なんだかキュンとしますね。
村田 その武元先生は、同じくボクシング部の顧問だった西井 一先生と一緒に五輪貯金もしてくださっていて。
丸山 五輪のために貯金を?
村田 当初は2008年の北京五輪に向けてのものでした。残念ながら出場は叶いませんでしたが、武元先生は次回のために取っておくように言い残して、2010年に急逝されてしまった。2012年に晴れてロンドン五輪出場が決まったときに、僕は西井先生からその話を初めて聞かされたんです。
丸山 そんな話、泣いてしまうじゃないですか。
村田 武元先生のお墓参りに行くと、先生の奥様が僕ら教え子に宛てた手紙が置いてありました。奥様が家庭を顧みず生徒の指導ばかりしていた先生を心配すると、先生はこう言ったそうなんです。「生徒は家族のようなものだから」と。先生亡き後、教え子との絆に触れて、あの人の気持ちが初めてわかったと書いてありました。