パニコは、イタリアのクラシックドレスシーンに精通する池田哲也さんが、個人的に溺愛するサルトリア。なぜそこまで惚れ込んだのか、本人に理由を語っていただいた。
服飾評論家 池田哲也 × PANICO(パニコ)

“イタリア偏愛”私の特別なもの
ナポリの侘び寂び
アントニオ・パニコと初めて会ったのは、僕が1992年に百貨店の現地駐在バイヤーとしてイタリアに渡ったときです。ロンドンハウスの伝説的なヘッドカッターが開いた仕立て工房があると聞き、俄然興味を感じたんです。
その頃の僕には彼のスーツを買うお金はありませんでしたが、やり手のバイヤーに見えるよう少し金持ち風を吹かせて会った(笑)。するとなぜか彼は僕を気に入ったようで、制作風景を見学させ、食事までご馳走してくれました。

以後も赴任中はずっと親しくさせていただきましたが、実際に彼のスーツを買ったのは、会社を辞め服飾評論家として歩み始めた’96年ぐらいです。生地はドーメル創業125周年記念のスペシャルなもの。
「お前はこの生地で作るしかないだろ」とアントニオに勝手に決められてしまいました(笑)。じつは彼はこの生地に惚れ込み、数十着分ぐらい在庫を持っていたんですね。
彼の仕立ての特徴は、裁断も縫いも、とにかく恐ろしく手が早いところです。そしてずいぶんと大らか(笑)。
芯据えも精密じゃないし、そもそもフィッティングに使うサンプルスーツも僕が仕立てた頃はそんなに数多く使っていなかったはず。今のクルマで主流になっているモジュール構造みたいなもので、僕のような体型からもっと太った人、さらに猫背な人まで一着でやってしまう。
北イタリアあたりの精密な作りのスーツと比べたらちょっと心配になるほどですが、それでも仮縫いが仕上がってくると自分の体にピタッとキマるから不思議なんですよね。着心地が良くて文句なしに美しい。そしてもちろん没個性じゃない。
向こうの職人たちがよく使う“フレスケッツァ・ディ・マーノ”、英語に訳すと“フレッシュネス・オブ・ハンド”ですが、それがここにあるなぁと実感しました。
日本には該当する言葉がないので説明しにくいのですが、たとえば書道の達人は勢いよく筆を走らせますよね。そしていい感じで線が擦れたりしている。あの味は筆をゆっくりと走らせていたら出ないし、何度も書き直してもダメ。それと一緒でスーツの仕立ても、遅く作っていると失われてしまうものがあるんだなと感銘を受けました。
もちろん8歳からテーラーの道に進んで研鑽を積んだアントニオは、緻密で精密なスーツも当然仕立てられます。それがキャリアを重ねるごとにどんどん削ぎ落とされていった。
手抜きじゃないんです。無作為の美というか、侘び寂びの感覚にも近いのかもしれない。これぞナポリ仕立ての真髄と感じ、イタリアに行くたび服を何着も仕立てるようになってしまいました(笑)。
そうそう、パニコはコートも独特の作風でいいんです。このコートも肩の広さと胸のボリュームを破綻させず、綺麗にウエストを絞り込んでいるんですよね。
作った当時、知り合いにエスクァイアの昔のイラストみたいとからかわれましたが、年を重ねるうちにとてもムードのあるいいコートと思えてきた。これを着たいがために、冬が来るのを待ち遠しく感じるほどです。
というわけでアントニオの技術は何としても継承していただきたい。ちなみに孫のアルベルトは祖父の元で修業をしていたのに、今はバルセロナでグラフィックデザインの仕事をしているそう。才能があったのにもったいない。できることなら裏から手を回し、パニコに呼び戻したいくらいです(笑)。

服飾評論家 池田哲也さん
1968年生まれ。三越へ入社し、ローマ支局での勤務を経験。帰国後に服飾評論家として活動を開始する。森下のナポリピッツァの名店「ベッラ ナポリ」のオーナーシェフでもある。
【解説】
アントニオ・パニコ
1942年カサルヌエヴォ生まれ。8歳で仕立て屋に弟子入り。ロンドンハウス(下)ではヴィンチェンツォ・アットリーニの後を継いで工房を取り仕切るヘッドカッターを務め、’91年に独立。今も現役で活躍する。
ロンドンハウス
名仕立て工房が数多存在するナポリの頂点に君臨した伝説の工房で、現「ルビナッチ」の前身。1930年代にジェンナーロ・ルビナッチが開業し、有名仕立て職人を輩出。まさにナポリ仕立ての確立者だ。
生地はドーメル創業125周年記念
世界屈指の服地ブランド、ドーメルが、創業125周年の記念限定として1992年に発表した生地。スーパー160’S素材とホワイトカシミアの混紡で、当時の日本ではこれで仕立てると120万円前後したとか!
モジュール構造みたい
車で『“根幹となる部分(エンジンなど)”を統一していくつかの車種を作る』構造のこと。不思議と多くの人に馴染んでしまうアントニオ氏の作るスーツを評した池田氏の言葉。多くの人に馴染むといっても、没個性せず“らしさ”をしっかり保つからすごい。
フレスケッツァ・ディ・マーノ
ピッツァ修業の際にも池田氏はこの言葉を師匠からよく言われたそう。「日本人の性質上、時間をかけ丁寧に生地を捏ねていたんですが、それでは生地が死ぬと。手数が多いほど失うものがあるんですね」(池田氏)

コートも独特の作風
写真は池田さんが2001年にオーダーしたコート。英国ハリソン社のカシミア100%生地を使用。「普通これだけ肩が広いと生地がカーテンみたいに落ちるのに、綺麗なシルエットを築き、ドレープも美しいのがすごい。ちなみに肩が広いのは、袖を通さず肩からバサッとかけた着こなしも想定しているからです」(池田氏)
孫のアルベルト
祖父の元で修業し、その才能からパニコの後継者と目されていたが、今はバルセロナで別の仕事に。池田さんも幼い頃から可愛がっていただけに、アントニオ氏と同じようにショックが大きいと言う。
※表示価格は税抜き
[MEN’S EX 2020年1・2月号の記事を再構成](スタッフクレジットは本誌に記載)