SIHH取材 DAY 5

SIHH取材を終えて
SIHHの取材も5日目の午前中に終了した。このサロンの最終日は、昨年から申し込んで入場料を払えば一般客も入れるようになったため、会場は特別に賑わうようになったので、我々のような取材をする人間は、なるべく早く退散するのが賢明。
各メゾンが今年もアイデアを絞り、様々な魅力的な時計をプレゼンテーションしていたが、興味深かったのが外装の小型化の動きだった。
欧米の人間の体格から割出した大きさだけではなく、アジア人にも収まりの良いサイズというものに、少しは心配りしてくれるようになったのかも知れない。
あるいは自社のアーカイブをひも解いてみたら、1950年代や60年代の時計が、いかにも小さく、良い感じにまとまっていたことに、彼ら作り手のほうが気付いたのだろうか。
あの時代、時計を薄く作ることも、時計業界のテーマとなっていたものだった。薄くて性能の良い時計が望まれたあの頃は、スマートにスーツを身に着ける男たちの時代だったと思う。
時代の要請と、新しいイメージを持つ物への憧れから、時計という物の在り方もずいぶん変化してきたものだ。
ひと頃のデカ厚時計の流行というのも、大きくて存在感のある物を、人々が求めたからであろうし、そこにはバブル的な経済の在り方が、人々に与えた『気分』などの、心理的な要因もあったに違いない。
それにしても我々は、機械式時計という技術遺産を、残すことができて幸せだったと、今年も様々な新しい時計を見て思ったものだ。
こうしてSIHHの原稿を書き終えると、またすぐにバーゼルワールド取材の準備にかからねばならない。バーゼルワールドでは、多くのブランドが出展を取りやめるようだという噂を耳にするようになったが、実際どれほどの変化を迎えるのかを見極めねばなるまい。
そしてどうやら、新作時計を発表するタイミングというものは1月、というのが業界の新常識となりつつあるのかも知れない。となると、ますます1月のSIHHの重要性が高まるだろうが、今の会場はどこまで拡大できるのか、またそこを目指す人が増えれば、ジュネーヴのホテルの部屋数が足りなくなり、宿泊費が高騰するだろうな、などと考えてしまう。
この日の午後は、早い夕方に約束していたパスカル・ラフィ氏に会いに、ボヴェが展示会をやっているホテル・ボーリバージュン出かけた。
この数年で多くの、親しかった古い時計界の友人知人がリタイアし、また世を去ってしまうなど、ゆっくり時計の夢を語り合える人が少なくなったのだが、パスカル・ラフィ氏とは、近年の時計界の変遷や、彼の描く時計への夢をゆっくり聞け、楽しい時間を過ごす事ができたのは幸いだった。
Profile
松山 猛 Takeshi Matsuyama
1946年京都生まれ。作家、作詞家、編集者。MEN’S EX本誌創刊以前の1980年代からスイス機械式時計のもの作りに注目し、取材、評論を続ける。SIHHは初回から欠かさず取材を重ね、今年で28回目。

撮影/岸田克法 文/松山 猛