
フィレンツェ彫りの名匠、マルコ・バローニのアトリエを訪ねたのは、新しい指輪を手に入れようと思っていたからだ。彼はその作品の素材として、鉄とゴールドを組み合わせて作る、珍しいインチジオーネ=洋彫りのマエストロである。
鉄というのはゴールドやシルバーに比べると、とても硬度が高く、彫金向きの素材ではないのだが、マルコはそれを切り抜き、そしてそれに彫金できるスペシャリストなのだ。
4年前にここで手に入れたのは、鉄を十字に切り、その外周にゴールドの輪を組み合わせてつくったカフリンクスだった。中心に小粒のダイアモンドがあしらわれたそのカフリンクスは、とてもシックな所が気に入っている。そして今度の旅では、同じ技法を駆使した指輪を手に入れようと思ったのだった。
鉄の指輪はローマ時代の貴族が珍重していたとか、十字軍の兵士に与えられたものだとか、様々な逸話が残されているが、いずれにしろその素材としての硬さが、強さのシンボルとなっていたに違いない。
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1971年に、レバノンやシリアを旅したとき、アンティーク商の年寄りから、十字軍時代の物だという、鉄の指輪を譲ってもらったことがあった。それはいかにも怪しい代物だったが、願いを叶える力が秘められているという、その物語を面白いと思ったのだ。残念な事に願いをかなえてもらう前に、ちょっとした不注意でその指輪を紛失してしまい、以来いつかまた手に入れたいと思っていたのである。
僕がえらんだのは唐草模様が掘り込まれたもので、うちの奥さんはドングリをモチーフにした指輪を選んだ。もうすぐ我々は知り合って40年を迎える。その記念の指輪にしようというわけだ。
フィレンツェの北にある、山間部に家があるというマルコさんは、自然に囲まれて育った人らしく、どんぐりをモチーフにするなど、他ではあまり見る事がないデザインを得意とする。彼がその日作っていたのは、細かな彫金によるベルトのバックルだった。まるでルネサンス時代から抜け出してきたかのような、その手仕事の見事さに魅せられたのだった。
Marco Baroni
Via de Renai 3 Firenze
Tel.+39-055-246-9032
松山 猛 Takeshi Matsuyama
1946年京都生まれ。作家、作詞家、編集者。MEN’S EX本誌創刊以前の1980年代からスイス機械式時計のもの作りに注目し、取材、評論を続ける。