羊毛とゆかりの深い岩手の地に花開いた手紬と手織りの技。毛羽立ったウールを使う粗野な風合いのホームスパンを1980年代を境にして、より独創性の高い生地づくりに発展させた。いまでは、世界に冠たるブランドが、ここのホームスパンを愛用する。

今月のいい工場(ファクトリー)
岩手 – 日本ホームスパン

教えてくれる人
ファッションジャーナリスト
矢部克已さん
メンズファッション誌編集部を経て渡伊。本国の服飾文化を吸収して帰国。ピッティ・ウォモを欠かさずに取材。常に「ファッションの現場」が気になるいま、この連載に力を込める。
世界有数のブランドが渇望! 手紬を継承する類なき生地
年間700種類のサンプルをなんと手織りでつくる
作家、宮澤賢治が生まれ育った岩手県花巻。その花巻を抜けるJR釜石線は、童話『銀河鉄道の夜』の舞台にもなった。線路に並行して車を走らせると、「日本ホームスパン」の本社兼工場に到着した。ガシャンガシャンという、シャトルが往復する織機の音が玄関先にまで鳴り響く。事務所の壁に、”スコットランド生まれのホームスパンが岩手の東和の街に根付いて70年”と掲げられている。
【歴史】
専務取締役の菊池久範(ひさのり)氏の祖父が立ち上げた「河東(かとう)ホームスパン」が、「日本ホームスパン」の前身である。「河東ホームスパン」が設立された東和町は、陸送が便利な岩手軽便鉄道(現JR釜石線)が近いため、羊毛の集積工場があった。かつて、国が掲げた”綿羊100万頭計画”の名残りもあり、この地に紡毛の生地づくりが根付いた。第二次世界大戦中に軍事物資だった羊毛は、戦後払い下げとなり、伝統として残った手織りや手紬の技で、ホームスパンをつくり続けてきたのである。